大阪わらじの会としての問題点、今後の対応

文責  小野 肇

 

 我が会では捜索活動終了後、事故の検証を行った。検証を進めるにつれて、事故への対応の問題のみならず会として内在する問題点も幾つか浮き上がってきた。今回の悲痛な事故から教訓を引き出して今後の活動へ活かしていくために、議論した内容を以下に記す。

 

1 単独行について

 今回の遭難は単独での溯行中に起こったものである。当然、単独であれば同行者によるザイルを用いた確保といった安全のための対処が制限されてしまうため、危険性が高くなる。今回の事故を踏まえて、山岳会に所属しながらも単独行を中心に山行を行うことに対して疑問が挙げられた。一方で、大阪わらじの会の最大の特色と言ってもよい活動の自由に対して制限を設けることについては、反対の意見も寄せられた。また、単独行であろうとなかろうと、沢登りという行為自身が危険性を伴うため、事故を完全に防ぐには山に行くのを止めるしかない。そのように考えると、安易に活動に制限を設けるよりも、活動のリスクを踏まえた上で有事の際に迅速に対処できるように工夫することが必要という意見も寄せられた。結局、遭難を未然に防ぐためにできる限りの努力をするということと、活動を制限することにより会の特色を失ってしまう弊害と、どちらをどのくらい優先させるか?このような問題については簡単に答えを出すことはできないが、次のような方針で対応することになった。

・活動の自由を重視して、単独行に対して会としては制限を設けることはしない。

・事故が起きた際に迅速に対応できるように工夫して計画書を作成する。

・山行の際、現地の状況から計画変更を行う場合には、速やかに連絡を入れること。

 なお、計画書作成の問題については次に述べる。


2 山行計画書の作成

 大阪わらじの会では、集会の際にホワイトボードに山行計画の概要を書き、メンバーの募集や計画の表明を行っている。この情報を事務局で管理しているが、以前はこれをもって山行計画の提出とみなされていた。一部の会員は事務局や所管の警察署に計画書を提出していたものの、多くの場合、詳細な計画書の提出は行われていなかった。この点については2000年の屋久島での遭難誤認事件(現地の人から会員の遭難可能性の連絡を受けて捜索活動を行った。このとき、計画書が未提出であったため、入山パーティーの詳細な計画が分からず捜索を行うか否かの適切な判断ができなかった)を契機に、大いに問題視され計画書の作成が義務付けられた。会で作成した計画書のひな型が作成配布されたものの、完全には計画書の提出は徹底されていなかった。今回の山行に関しては、旧来の習慣で集会にてホワイトボードに計画の概要を書いたのみであった。

 遭難者の捜索にあたって、山行計画のルートは把握できたものの、溯行者が写真撮影を目的として入渓していることから、溯行予定の沢以外にも、周辺の溯行対象になりそうな沢の捜索も行われた。このような点を踏まえて、以下に述べるように、事故が起きた時困るのは自分だけではなく捜索に関わる人たちにも迷惑がかかることを念頭に計画書を作成することが確認された。

・事故発生時の捜索範囲を考慮して計画書を作成する。単独行の場合は特に事故発生時にパーティーに連絡者がいないため、入渓する可能性のある沢を明記する。

・関西以外の地域については事務局で場所の詳細が把握しにくいため、入渓する沢がすぐ分かるように記入する。

 

3 事故時の連絡体制

 今回、遭難の第一報は、遭難者が予定日深夜になっても帰宅しないことから、遭難者の家族から大阪わらじの会の元会員に連絡がされた。これは、家族の手元には古い名簿しかなかったためで、大阪わらじの会事務局に遭

難の連絡の第一報が入ったわけではなかった。その後、すぐに会への連絡があったが、大阪わらじの会としては捜索活動を開始するにあたって、なるべく早く情報を把握して対応を決定することや、家族と早急に連絡を取り捜索の方針を相談する必要がある。今回の反省を踏まえて、会員名簿に会員の家族向けに異変時の対応マニュアルを記載することとした。すなわち、異変時の連絡先や適用される保険の金額を明記した。また、大阪わらじの会としてどのように捜索活動に踏み切るかといった行動マニュアルも作成した。

 

4 事故への対応

1)初動について

翌日午前より第一陣が出動した。会則では事故判明時に初動を開始することになっているが、前日深夜に事故の第一報があったことから、準備等を考慮すると今回の判断は妥当と考えられた。遭難の際に、どの時点で捜索の初動をかけるかは状況によって異なってくる。例えば、冬季であれば救助に一刻を争う可能性が高いため深夜であっても出動した方が良いと言える。山行のレベルやパーティー構成によっては、単なる下山遅れの可能性が高いケースも考えられ、その場合は安易に出動するよりも情報収集を優先する方が良いと考えられる。今後とも、状況次第で緊急性を判断して捜索に当たるべきである。

2)捜索救助隊の編成について

捜索現場では、現場でのミーティングにより捜索救助の計画や班分けが決定され意思疎通の方法が確認された。しかし、捜索救助隊全体のリーダーを決めることはなかった。このことについて、本部を置いて情報の収集整理、指示連絡を統括する担当者が必要であったという意見が挙げられた。本部が設置されていれば、後から捜索に参加した人や、会員以外に現場に駆けつけてくれた人への対応がよりスムーズに行われたと考えられる。

 

3)装備(無線・ウェットスーツ)について

 捜索隊が遺体発見後、本部に連絡を取ろうとしたものの、谷中にいたた

め無線が通じなかった。そのため、高性能の無線を購入するという提案もなされたが、たとえ性能が良くても無線電波は直線状にしか飛ばないため、中継点を設けて連絡をする必要があり現実的ではないという意見が出された。以上より、無線の利用の限界を考慮に入れて捜索活動に当たる必要がある。

 水温が低い白川又川での遺体収容活動ではウェットスーツが必須であった。ウェットスーツはあらかじめ用意されたものではなく、本流ゴルジュ内で遺体収容が行われることを知った海外溯行同人のメンバーが、前日に奈良県橿原市で入手したものである。通常の溯行と異なり、流域の大きな渓谷の捜索などの活動では、水に浸かる状況が多く続くため、事前に準備すべきであった。

 

5 遭難簡易報告について

今回の遭難については新聞、テレビ、山岳雑誌といった様々なメディアで報道された。しかし、その内容は伝聞をもとに報道しているためか、必ずしも正確なものではなかった。例えば、十郎山山頂付近にテントが残される、崖から転落死、懸垂下降の失敗といった内容が挙げられる。そのため、ホームページにおいて事故内容の簡易報告を行った。しかし、簡易報告を公開したのが遭難から約2カ月経った1012日であり、山岳遭難に関するインターネットによる情報公開は会としては初めての事例であったとはいえ、あまりにも遅すぎた点は反省すべきである。

 対処が遅れた原因は、事故への対処に追われて、不正確な報道を知りつつもホームページで判明している事実を公開することを思いつかなかったこと、簡易報告の内容と公開について集会での了承を得るため時間がかかったことが挙げられる。報道で遭難を知った人の中には、沢登りを行っていたり、故人をよく知っていたりといった理由のため、詳しい情報を求める人もいると考えられることから、なるべく早い時点で正確な情報を流すべきであった。今後は、集会での了承を待つよりも、ご遺族の意見を尊重しつつ、役員間で早急に報告内容を検討してホームページでの公開を目指すべきである。




会計報告

 

収入

     山岳保険(あいおい損保より2010/9/17入金)     \1,000,000

     故川崎氏友人より(香典)                                         \10,000

              

                                                                              \1,010,000

 

支出 

捜索費                                                                       \916,000

     食糧費                                                                         \72,502

     装備費                                                                       \148,680

     交通費                                                                         \73,195

    

                                                                              \1,210,377




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